キリア&ドーム銘板

第三話 天空の盃(中編)

 光の発生源は荘麗な宮殿。いや、都市だった。クレーターの底に作られた都市。
 そこには黒とクリスタルを基調とした建物がところ狭しと並んでいた。輝きと漆黒が混ざり合い、まるでそれ自体が生命かのように蠢きあう。燦然とした輝きの中を、さらに光が走り、駆け、消えてまた復活する。都市自体が芸術品になるとしたら、まさにこれがそうだ。
 俺たちは全員、眼下の光景に見とれた。
 建物の連なりは果てしなく見えたが、ついに一番大きい建物の前に俺たちは着陸した。つまりはそれがこの都市の宮殿であった。
 風の精霊を使役しての、船の水平飛行は初めての体験だった。
 どうやらキリアは船に新しい装備をつけたらしい。いや、それとも前からこうだったのか。前の船は虚空で蒸発したのでどんな装備があったかはしかとはわからない。
 俺たちの接近はとうの昔に判っていたらしい。宮殿の前にいるのはどうやら王様らしい人物と、その取り巻き、そして広場を埋め尽くす護衛兵の山だった。その中央にしずしずと降りて行くキリアの操船技術はたいしたものだった。
 まあ、もしかしたら船の着陸の際に月人たちの二、三人は潰したかも知れないが、それはこういうことにつきものの事故ということで、俺は気にしなかったし、キリアも気にしなかったし、他の誰も気にしなかった。

 キリアは俺を伴い、船を降りた。人垣が割れ、王らしい人物への道が開かれた。
 近付いて見ると王は赤ら顔の髭面の小男だった。豪華な衣装に身を包み、さらには全身にきらめく宝石を飾っている。
 もちろん俺は一目でこいつを嫌いになった。
 キリアが腰をかがめて敬意を表すると、喋り始めた。
「王よ。ウィザ王国学術顧問キリア・イブド・メソ。我が王よりの友好を込めて御前に参りました」
 ああ、キリア。一体、いつから顧問になったんだい? それに王っていったい誰だい? リルガミンの街には王なんていないぞ。
 しかし、俺は口を挟まなかった。キリアは理由も無く嘘を付くような人物では無い。何か重要なわけがあるのだろう。もっともキリアはいつだって重要な理由を持っているし、それも一つじゃなくていくつもいくつも持っている。だから始終嘘をつきっぱなしで、俺は騙されっぱなしだ。

 やれやれ。

「よくぞ、来られた。大地の人よ。われら月の民は、そなたらを歓待するぞよ。ささ、お仲間も呼んでわが宮殿でくつろいで貰おう。珍しい話も聞かせて貰おう」
 王様はいやに上機嫌だ。初めて見たに違いない異邦人を警戒するではなく歓待するだって?
 俺は鼻がむずむずした。トラブルの予感。俺のこの予兆は当たるんだ。
「旨い酒もあるぞ。マゾンと言うてな、この月での一番の酒じゃ」
 鼻のむずむずが止まった。この男を少し好きになりかけている自分を発見して驚く。
 うん。いや、違う。好きなのは人物じゃない。酒だ。だからそれほど悩む必要はない。


 こうして、俺たちは月へと降り立った。


 船の中には留守番の奴隷だけを残し、俺たちは宮殿へと立ち入った。この宮殿は外も壮麗だが、中身も壮麗だ。真っ白な大きな壁はどこも豪華なタペストリーがかかり、暖かい雰囲気を醸し出している。調度の類は寧ろ少なかったが、たまに飾ってある装飾品などは実に豪華で見事なものだった。無駄に広い部屋と廊下は、そこを通るものに畏怖を与えることを計算しつくしてある。壁の白と、そこに落ちる光の具合は、それを建築したものが一流の建築家であるだけではなく、一流の芸術家であることも示していた。建物の中を壮麗に飾り立てた馬車が走り、俺たちを奥の部屋へと案内すると、慇懃な態度の王宮執事が現れ、晩餐会の予定を告げた。
 あてがわれた部屋の中でキリアは言った。
「ドーム。わしと一緒に晩餐会に出てくれ」
「ああ、いいよ。他の連中は?」
「無論、行くとも。ああ、ボーンブラスト、シオン、月影。ちょっと来てくれ」
 キリアは三人を連れて部屋の隅に行くと何やら相談をしていた。
 はてな?どうして俺だけ仲間外れにされる?
 まあ、良い。酒だ。キリアと話をしているより、酒を飲んでいるほうがずっと良い。しかもこれは今まで飲んだことの無い珍しい酒だ。
 マゾンだと、どんな酒だろう?
 咽がぐびりと鳴った。我ながら意地汚いなあ。まあ、止める気はないが。もしかしたら部屋の中に酒の棚でもないかと目を走らせる。
「ああ、待たせたな。ドーム。行こうでは無いか」
 キリアがいそいそと先に立った。そのまま、振り返らずに言う。
「ドーム。この宮殿には全体に反魔法場が掛かっている。注意してくれ」
 そのままスタスタと歩き出した。
 俺は驚いた。
 そしてキリアがどれほど、根源の神に恋い焦がれているのか、やっと本心から理解できた。
 その昔、ギルガメシュの酒場で乱闘が続くので、酒場じゅうにアンチマジカルフィールドが張られたことがある。この反魔法場は形成されるとその内部での魔法の使用ができなくなる。
 剣士が暴れても机が壊れるぐらいだが、魔術師が暴れては酒場が丸焼けってこともあるからだ。魔法が一切使えなくなったために忍者などに魔術師が暗殺される事件が続いて、結局、ギルガメッシュの親父はアンチマジカルフィールドは諦め、代わりに酒場の壁を強化することで解決することにしたという経緯がある。
 魔法使いにとってアンチマジカルフィールドほど恐ろしい存在は無い。どれほど強力な魔術師でも、このフィールド内では赤ん坊同然だ。そのフィールド内に自分から足を踏み入れるなど、普通はあり得ない。ましてやキリアほどの熟練の魔術師ならばなおさらだ。
 それは例えるならば、戦士が自らの両腕を切り落とすようなものである。
 キリアは今それをやっている。キリアほどの魔術師ならば、見ただけでアンチマジカルフィールドを見抜いたに違いないのに。それでもキリアは自ら進んでここに入った。根源の神の手がかりを欲して。
 それにもっと大事なことがある。宮殿全体にアンチマジカルフィールドが張られているのは、何かがおかしい。普通ならば部屋一つ分が魔法無効化されるぐらいだ。宮殿全体に反魔法場なんて、その維持だけでいったいどれだけの魔力が必要になるか想像もつかない。
 相手が友好的か敵対的かわからない内に、これだけの準備をする。それは裏返すと、月の民は最初から敵対的であることを意味しているのではないか。

 俺は気を引き締めた。これは絶対に罠の匂いがする。うう、鼻がムズムズする。

 月人の晩餐会の有様については、実は良く覚えていない。ただ、マゾンと呼ばれる酒は旨かったのは良く覚えている。とろりと舌を転がり、微かに甘く、咽に強烈なキックが来る。飲むたびに異なる風味が感じられ、頭が冴えるような気分になる。ここで酔っぱらうのはまずいなとは思ったが、止められない。俺はしたたかに飲んだ。
 月人の女たちは俺たちが珍しいのか、周りに寄って来ては好奇の目で眺めていた。見た目は俺たち冒険者と変わらない。貴族達はと来たらやたらに握手し、詰まらぬ会話を繰り返していた。俺はあっちにふらり、こちらにふらりと大部失態をやらかした様だが、詳しいことは覚えていない。だけど周りに笑いが絶えることは無かったと思う。一度だけ「野蛮な蛮族め」という声を聴いたようにも思うが定かではない。
 その間キリアは王様の周りの取り巻き連中とずっと話をしていた。かなりの熱論になっていたようだが、じいさんの礼儀正しさは最後まで崩れなかったようだ。
 気がつくと晩餐会はお開きになっていて、キリアと俺だけになっていた。それと何人かの剣を装備した警備兵たち。キリアがテーブルの上で寝ていた俺を起こすと、部屋へと帰った。
 部屋にはシオン達はいなかった。俺は寝室へと入り込みベッドに倒れ込んだ。キリアが俺の両頬を張り飛ばし、俺の頭に水差しから水をかけた。
「ドーム。しっかりしろ。動けるか?」
「眠らせてくれよ。キリア。随分と飲んでしまった」とは俺。本当にべろべろだあ。髪はびしょ濡れにされてしまったが、大丈夫、これぐらいなら俺は寝ることができる。
「ドーム。そんな場合じゃない。逃げるぞ。このままでは今夜中にわしらは殺されるぞ」
 殺される、の一言で頭がしゃっきりとした。酒が一瞬で抜けて、全身に活力が満ちた。俺の体と頭はずいぶんと便利な出来だな、と自分でも思う。
 キリアじいさんはこんなときに冗談を言う男では無い。キリアが危険と言ったならば、本当に危険なのだ。そう、手遅れになるぐらい。もうすぐそばまで命の危険が迫っていることを示している。
「ドーム。大丈夫か? わしは武器と言ったら短剣ぐらいしかない。お前の腕だけが頼りじゃ」
「じいさん。大丈夫だ。本当に危険なのか」
 俺は左右を素早く確かめた。部屋の中には他に誰もいない。腰には愛用の剣。俺はどんなに酔っぱらっても剣だけは離さない。剣は戦士の命だし、この魔剣はファイ師匠から譲られた大事な剣だ。
「危険だ。あ奴は」とキリア。あ奴とは王様の事らしい。
「わしから何とか情報を引き出そうとしていた。気になっていたのはわしの背後に誰がいるのかだな。意味のある情報を引き出せないと見るや、にやりと笑いおった。あ奴は危険な奴じゃぞ。ドーム。鼠をいたぶる猫のような奴じゃ」
「鼠は鼠でもこいつはきっと殺人鼠だぞ」
 やはり俺の直観は正しかった。俺は剣を撫でながら言った。ちなみにダンジョン最深部には殺人ウサギがいる。ウサギなのにベテラン冒険者を一撃で殺すとても嫌なやつらだ。殺人鼠は幸いなことにまだ見たことはない。
「さあ、キリア。逃げよう」
「ドーム。扉の両側に見張りが二人いる。部屋に全員揃ったら、処刑人の一部隊がやってくる手筈じゃろう。それまでワシらを監禁するための、つまりは手練れじゃ」
「そういえば、シオン達は?」
「わしが頼んで、ある事をして貰っておる。ドーム。お前が散々酔っぱらいの振りをしてくれたお蔭で、彼らが消えたのは気付かれなかったようじゃ」
 酔っ払いの振り? まったく・・じいさんの言葉はどこまで本気なのか、時々わからなくなる。
 俺は責められているのだろうか、それとも褒められているのだろうか?
 まあ、いい。
「じゃあ、キリア、行こうか」
 問題はどうやって外の衛兵を声を立てさせずに倒すかだ。俺はしばらく魔剣オーディンブレードと相談した。
 今回は半分のパワーでいいだろう。オーディンブレードはそのままでも非常に切れ味のいい剣だが、その真の性質は剣に封じられた古えの神の力にある。このような反魔法場の中でも、アイテムに封入された形の魔法は大概が影響無く働くので、その意味では絶大な安心感がある。ただ、この剣はなかなか全力を出してくれないという欠点がある。本来がなまけものなのだ。
 俺に良く似ているって?
 剣が主人に似る?
 ま、さ、か!
 主人が剣に似たに決まっているだろう。
 とにもかくにも話は決った。いまは行動すべきときだ。
 扉は重くて硬い金属だ。最初から獲物を捕らえるための部屋。装飾でごまかしてはあるが、体のいい牢獄だ。扉の向こうには二人の歩哨。恐らくは相当の手練れだ。倒せないわけじゃないが、それには多少時間がかかる。そしてそいつらはきっと、何かの連絡の手段を持っている。プロならば、闘いで勝とうとするよりも、まず仲間に異常事態を知らせようとする。それが一番まずい。
 最初の一撃で殺さねば。
 どんな手練れでも、四六時中意識を張り詰められるわけじゃない。俺たちが扉の中にいる間は、当然ながら油断する。もし、扉が少しでも開いたならばその瞬間に身構えるだろう。
 ならば扉を開けずに殺せばいい。
 俺は扉に手を当て、向こう側の気配を探った。
 分厚い扉の向こうにいる人間の位置が気配だけでわかるのかって?
 もちろんできるさ。
 俺は魔剣を抜くと、高く頭上に差し上げた。剣の刀身の中に渦巻く力が感じられる。そこなら反魔法場も手が出せない。魔剣の力だけではなく、俺の剣の技も必要だ。精神を集中し、研ぎ澄ます。剣が手の延長となり、俺の一部となる。硬いはずの金属の扉が柔らかく感じられる瞬間を待つ。
 いまか?
 いまか?
 いまか?
 そうだ!
 一声、音の無い気合いをかけて剣を斜めに振り下ろした。
 重い金属の扉もろとも、扉の外の衛兵2人を両断した。壁の両側にも深い切れ目が入ったが、仕方ない、許してもらおう。

 扉が開く。

 廊下は死体から流れ出る血でひどい有様だ。血の臭い。自分に何が起こったか理解していない顔で、床の上から俺を見つめる男たちの顔。目の前に転がっているのが自分の下半身だと気づいたかどうか。
 まさかこいつらもこんな殺され方をするとは夢にも思わなかっただろう。扉と壁に隔てられて、死からは隔絶されていたはずなのに。
 突然の死。死神の与える衝撃。運命の残酷な一矢。この世の名残に言葉一つ残すこともできない無残なる悲哀。
 だが、俺はこの結果を気にしない。
 少しだけ胸が痛んだが、いつものように無視する。失われる命を痛む俺と、戦い続ける俺は、同じであり、なおかつ違う。冒険者とはそういうものだ。
 床のエキゾチックな模様の絨毯も血塗れだ。もったいないなあ。そう思うのも、また俺だ。

 俺とキリアは廊下を走った。宮殿の奥深く、記憶にある帰り道は遠かった。
 侍従たちの一団に出会ったのは、丁度道のりの半分まで来たときだった。


 出会い頭だ。隠れようがない。俺は剣を縦横に振るい、キリアは短剣でこれも目ざましい働きを見せている。魔法使いの癖になんて素早さだ。まるで、忍者並の動きだ。魔法さえ使えればキリアはほぼ無敵なのだが、それは無いものねだり。本人も苦痛に思っていることだろう。
 さすがにこの人数を一撃で倒すことはできなかったが、それでも相手を圧倒し刻んでいく。
 俺が十人ほど切り伏せ、キリアが二人ほど殺したときに、最後の一人が振るった剣がキリアの足に命中した。剣の腹の方だが、キリアの細い足が鈍い音を立てて折れた。当たったのが戦士である俺の足ならばまず折れなかっただろうが、キリアじいさんは肉体的には脆弱な魔法使いだから仕方がない。
 道はまだ遠い。俺はキリアを負ぶって走りだした。キリアは魔術師だが、僧侶出身の転職クラスだから僧侶呪文は全部使える。だから普通ならばここで治癒呪文を唱えて問題は解決する。だが、アンチマジカルフィールドの中では、治療の魔法は効かない。一般的な治療呪文を含んだ水薬さえ、このフィールドの中では効き目が弱いし、そもそもそいつは船の中に置いてきた。まさか宮殿全体が罠になっているなんて考えもしなかったからだ。俺の魔剣は特殊な金属の中に特殊な神の力を封じ込んだ特殊な魔法の武器だから、それほど影響を受けない。これは不幸中の幸いというものだ。
 うむ。俺って良い武器に恵まれたなあ。自分で自分に惚れ直した。剣が俺の手の中で戒めるかのように震えた。
 ほどなく次の警備隊にぶつかった。宮殿の周りをくるりと回る渡り廊下だ。窓は高すぎてそこからは逃げられないし、今度も隠れる場所は無い。キリアを負ぶったまま引き返せるほどの時間は無かった。次の角のすぐそこまで、大勢の足音と鎧と剣の触れるかちゃかちゃという音がする。こうなれば仕方が無い。
 俺は無言でキリアを床に置いた。足は綺麗に折れている。奪った剣を添え木代わりに縛り付けてあるが、この足で歩くのは難しい。
 俺はキリアの顔をじっと見た。そして、キリアの前の通路に立った。
「ドーム」キリアが苦痛を堪えた声でささやいた。
「なんだい。キリア」
 剣を足元の床に突き立てた。この線から先は死体しか通さん。いや、動く死体は困るけど。
 俺はそっとつぶやいた。オーディンブレードよ。目覚めよ。
「わしを置いて行け」
「キリア。俺はいそがしい」
「ドーム。元はと言えばわしが、この旅にお前を引きずりこんだのだ。わしを連れては逃げられん。行け」
「もう、遅いさ。キリア。敵は目と鼻の先だ」
 その通り。俺たちの前方の廊下に警備兵が現れた。俺たちの姿を見て、騒いでいる。三十人というところか。巡邏隊の規模じゃない。きっと俺たちを捕獲するために部屋に向かう途中の軍隊の一部だ。
 俺は逆さに立てた剣の鍔に両手を当てて彼らが近づくのを待った。
「ドーム。引き返すのじゃ。わしが少しでも時間を稼ぐ」
「うるさいぞ。じいさん。あんたを置いて行くことは無い。絶対にだ」
 俺は後ろを振り向かずに言った。こんな恥ずかしいこと、面と向かって言えるか。
「あんたは俺の親父であり、俺の親友だ。命に替えても守る」
 俺の剣と酒の師匠のファイサルでも同じことをするだろうさ。
 前方で兵が陣を組んだ。三つの部隊に別れそれぞれ前後に並ぶ。飛び道具は無しか。全員剣や槍だ。魔術師の姿がないのは宮殿全体に巡らされた反魔法場のせいだ。ここでは魔法は全くの無力だから。
 先陣を切るのは十人ほどだ。前後に五人づつまとまって距離を詰めて来る。
 中央の三人は短槍、両側の2人は長剣。厭な相手だ。集団戦法に長けているのだろう。さっきの奴らとは動きが違う。ベテラン兵だ。
 なによりあの短槍が厄介だ。剣よりもはるかに。刃面を最小に作った短槍で、前に出した片手で槍本体を保持して残った片手で槍を前後に突き出す。熟練者だとすれば、瞬きの間に五回は槍先を繰り出してくる。俺はそのすべてを剣で反らさないといけない。反らせなければ、死ぬ。
 甘い見通しは立てない。俺はたぶんここで死ぬ。
「じいさん。ここは戦場で、俺は戦士ドーム。戦士にとっては戦場は故郷だ。故郷で死ねるのならば、悔いは無い」
 どうしてこう俺は口下手なんだろう。言いたいことの半分も言えやしない。まあ。口の上手な戦士なんているわけがないか。
「ドーム」キリアがつぶやく。
 そのときの俺は知らなかったが、後にキリアは俺に語った。この瞬間、キリアは自分の咽を切り裂こうと思ったらしい。俺を逃す為に。だけど、その話を聞けたのは旅の後の感傷的だった一時期だけだ。その後は何度聞いても、キリアじいさんは知らぬ存ぜぬで押し通した。

 まったく。
 愛すべきじいさんだよ、あんたは。

 後ろの方からどたどたと足音が聞こえて来なければ、じいさんはそこで自殺していただろう。だが、こうなっては、じいさんは俺の背中を護らなくてはならない。俺はと言えば、正面の敵のすべてを一撃で倒す必要が出来たわけだ。
 そうとも。素早くやらねば、じいさんが危ない。いまこそオーディンブレードの出番だ。
 奴らは近付いてくる。顔に勝利を確信した表情が浮かび上がっている。
 こうやって何人の冒険者を殺して来た?
 お前ら?
 俺はつぶやく。オーディンブレードの中に眠る魂に。剣の心に。

 剣よ。我が剣よ。戦士の全てである剣よ。我に力を貸せ!
 お前の全ての力を!
 今、この一瞬のみが戦士の時だ。我が愛すべき世界の為に。我が愛すべき者達の為に。
 剣よ。汝が力を我に与えよ。

 剣は応えた。白い渦巻が剣の中から、反魔法場の中にも関わらず、巻き起こる!
 剣を掴んだ両腕が自然に上がり、白熱する剣が天高く伸びた。

 剣は我であり、我は剣なり。生と死の境界に我は立つ!

 視界が赤に染まった。怒りの赤、血の赤、焼き尽くす赤だ。
 無意識にほとばしりでた雄叫びが廊下に轟く。その雄叫びよりも速く、俺は動いた。
 前衛の五人がこの突進に驚き身構えたときには、すでに俺はその正面に立っていた。お互いに取っての死の位置。命のやり取りから絶対に逃げることのできない距離。その通り。俺は剣だ。剣そのものだ。剣は死を恐れない。剣は死を生み出すものだから。
 向こう側の基本的な戦術は防御を頑丈な鎧に任せた攻撃特化。中央の短槍使いが目にもとまらぬ突きを繰り出し、左右の剣士たちが敵の攻撃を止める。だからこちらの最初の攻撃対象は剣士だ。
 白熱の輝きとともに力に打ち震える剣は斜めに天より舞降りて、左の剣士に刃を喰い込ませた。敵の鎧の装甲をまるでバターかのように切り砕くと、短槍を繰りだそうとしていた三人の兵を襲撃した。
 稲妻型の軌跡を描いてオーディンブレードが肉を、骨を、鎧を、槍を切り裂いていく!
 そのままの勢いで右の剣士を吹き飛ばすと、剣士と剣が壁に半ばめり込んだ。衝撃で壁がごっそりと崩れ落ちる。大理石の堅い壁のはずだったものが、オーディンブレードの力を受けて砕けて大穴が開いている。先ほどまで人間だったものが血と肉の塊となってそこに張り付いている。
 剣を壁から引き抜いて、俺は飛んだ。相手の頭上を越えて宙で身体をひねりながら。自分にこんなことができるとは思わなかった。
 狂戦士。人類の伝説と歴史にしっかりと根付いているもの。人の内に潜み、狙い、機会をうかがっているもの。決して外に出してはいけない血に狂った獣。
 オーディンブレードは狂戦士の力を持つ。それは今、魔法の奔流となって、溢れんばかりに俺へと流れ込んでいる。前列の五人が一瞬にして、文字通りにばらばらにされるのを見て、ショックを受けている残りの兵士の上に、血の霧を飛び越えて俺が現れた。うなりを上げる剣は左右に踊り、遊び、閃き、そのたびにちぎれた腕やら、耳やらが宙を舞った。
 二撃、体に食らった。だが槍を受けて脇腹に開いた穴から血は流れなかった。代わりに噴き出たのは炎だった。俺の怒りの炎。
 これで十人。
 手当たり次第に殺した。刺して、突いて、切って、引き裂いた。悲鳴を上げる奴の首を掴み、素手で引きちぎる。俺の脇を抜けて逃げようとした奴の首筋に噛みつき食いちぎった。その間もオーディンブレードは勝手に動き、反対側に居たやつの肋骨を縦に切り裂く。
 さらに十人。
 俺は剣で、俺は力で、俺は無慈悲な死そのものだった。地面に転がる敵の剣を足で跳ね上げ、逃げようとした敵を後ろから貫いた。目の前に飛び出て来た相手の剣を抑えながら頭突きでそいつの顔面を砕く。握りしめた相手の腕ごとその体を振り回し、残りの敵に叩きつける。
 最後の十人。

 そしてたった一人生き残った大きな戦士が俺の前に立った。そいつも大きかったがそいつが持っているメイスも大きかった。俺は剣を振り下ろし、そのメイスを弾き飛ばした。そいつの背中を飛び越えて来た男が、俺目掛けて手刀を打ち込んできた。おれはそいつを蹴り飛ばした。俺の背後で小男が地面に倒れていて、何かを叫んでいた。それにさらにもう一人が現れて手にした武器を投げつけて来た。もちろん俺はそいつも弾き飛ばした。その隙に、最初の大男も何かを投げつけてきた。俺はそれを切り砕いた。
 砕けた酒瓶から芳香をまき散らしながら酒が周囲に飛び散る。

 酒!
 酒!
 酒!
 うまぞうな酒!

 ああ! 俺は叫んだ。それはシオンの叫びと重なった。
「もったいない」
 はっと正気に戻った。狂戦士のオーラが俺から抜けていく。目の前にシオンたちが立っている。痛む手をさすりながらシオンが床の上の酒の染みを見つめている。背後に大きな袋を背負っている。
「いい酒だったのに。なあ、ドーム。酒を一本、お前さんに貸しだぜ」
「しかしひどい有様だな」とボーンブラスト。
 黒ずくめの月影だけは無言で俺のオーディンブレードを見つめていた。剣は魔力を放出し尽くしたらしく、月影と同じく沈黙している。
 ひょいという感じで、大男のシオンが小男のキリアを肩にかつぐ。まるで赤ん坊を抱える父親だ。俺たちは出口へと急いだ。
 ええい。後ろから来ていたのはシオンたちだったのか。こんなことなら焦って戦うんじゃなかった。全身が誰かの血でびしょ濡れで気持ちが悪い。風呂だ。風呂に入りたい。いまは酒より風呂が欲しい。いや、酒だ。酒があるなら先に飲んで、それから風呂だ。一番いいのは酒の風呂だ。どぶんと飛び込んで一気に飲み干す。いい考えだ。無事に街に戻れたらギルガメッシュの酒場でやってみよう。
 あいにくと酒も風呂もここにはもうない。ああ、くそっ。もうちょっと早く、俺が正気に戻っていれば、あんな良い酒をむざむざと床に飲ませたりはしなかったのに。時間を巻き戻せるならば、そうだシオンが酒ビンを俺にぶつけたあの時に戻りたい。空中で酒ビンを咥えて、そのまま一気にラッパ飲みしてやるのに。

 宮殿から脱出するまで、俺はそんなことばかり考えていた。