御伽噺異聞銘板

オオカミと嘘つき少年

 むかし、むかし、その昔、とは申しません。少し前の時代のある村に一人の少年が住んでいました。
 どこにでもいそうなごく普通の少年です。壁を通り抜けたり、自然発火を引き起こしたりはできない、そういうごくごく普通の少年です。
 でも少年はウソをつくのが大好きでした。ウソをついて人の気を引くのがとてもとても好きだったのです。
 最初は他愛の無いウソでした。
 まだ花の咲く時期ではないのに、野原で花が咲いていたのを見た、というような。
 あるいは夕焼け空に天使が飛んでいたよ、とても綺麗だったよ、というような。
 そこで済んでいれば彼は詩人になっていたでしょう。

 でも、物事というものはエスカレートするもの。

 少年のウソはだんだん大袈裟になってきました。
 町はずれの麦畑に巨大なUFOが着陸してミステリーサークルを作ったよ、とか。
 アポロ十七号は実は月には着陸していないんだ、とか。

 ある日、ついに少年はついてはいけないウソをついてしまいました。
 狼警報です。

 この村は僻地にあり、羊の放牧で成り立っていました。村の悩みの種はときどき出没するオオカミです。もちろんオオカミの狙いは羊であり、それは村の大切な収入源です。そこで村人はオオカミ対策を立てました。もしオオカミが出たら、大声でそのことを他の人々に告げるのです。そうして村人総出でオオカミを退治するのです。

 嘘つき少年は叫びました。
「オオカミだ。オオカミが出たぞう!」
 その言葉一つで、村中が大騒ぎになりました。みんなが手に手に刺股を持って飛び出して来ます。村長さんに至っては、大きなライフル銃を持って駆けつけてきました。
 レミントン四十五口径エレファント・マグナム・ライフル・ニトロエクスプレスです。当時はまだ生産されていた象狩り用のライフルです。
 全員の視線が少年に集まりました。
「オオカミだ。オオカミが森から」
 その日一日、森の中はオオカミを探し回る村人で一杯になりました。
「どんなオオカミだった? 大きさは? 数は?」
 村人たちの必死の質問に少年は得意満面にウソで答えました。みんな真剣に少年の話に聞き入っています。
 今まで感じたことの無い快感に少年はうち震えました。自分の一言一言に皆が聞き惚れている。
 その快感は禁断の喜びに満ち溢れていました。

 何日かが経過して、村が静かになった頃、またもや少年は叫びました。
「オオカミだ。オオカミが出たぞう!」
 またもや先日と同じ光景が繰り返されました。少年は大威張りで自分が見たオオカミのことを話しました。

 快楽的犯罪者の特徴は、自分では決してそれを止められないことです。

 さらに何日かが経過した頃、少年はまたもや叫びました。
「オオカミだ。オオカミが出たぞう!」
 今度は、村人の集まりはやや悪かったようです。少年に尋ねる口調にも何か疑いの調子が混ざっています。
 恒例となった森の狩りも、何だかおざなりです。
 自分のウソがばれかけているのを感じて、少年は肝を冷やしました。

 次の準備には長くかかりました。
 森でキツネの死骸を見つけて、前足を切り取りました。オオカミの足跡を偽装するためです。古いオオカミの毛皮を納屋から見つけ出し、それを少し切り取りました。住んでいる小屋の柱に偶然付いたかのようにその毛を張り付けておきます。
 十分に証拠が揃ったと見極めると、昨夜殺しておいた羊の死体を取り出して、叫びました。
「オオカミだ。オオカミが出たぞう!」

 今度のオオカミの捜索は長く長くかかりました。現実に羊という被害が出てしまったのです。これは放ってはおけません。何としてもその憎きオオカミを見つけ出し、殺さなくてはいけません。
 しかし実在しないオオカミが見つかるはずもなく、さんざん村人たちをひっぱり回した挙句、オオカミの捜索は中止になりました。
 少年はほくそ笑みました。次回はもっと派手にやろうと、心の中で誓いました。

 しかし、少年の努力は無駄に終わりました。
 生贄とする羊を殺しているところを他の村人に見つかってしまったのです。
 前々から少年の言動が怪しいと睨んでいた村人の一人が、こっそりと少年を見張っていたのでした。
 少年は罰を受けました。
 村八分、です。
 村の全員が少年を無視するようになりました。いじめすら起きない、完全な無視です。火事と葬式以外のすべてにおいて、少年は徹底的に無視されました。
 誰とも話さない生活。誰にも挨拶されない生活。誰にも会わない生活。村人にとって少年はただのそこに転がる石でした。邪魔なら取り除く、ただそれだけの存在です。
「オオカミだ。オオカミが出たぞう!」
 少年は叫びましたが、村人の誰もがそれを無視しました。
 今の時代なら少年はネットの世界に逃げ込むこともできたかも知れません。でもこれは少し昔のお話です。そんな便利なものはありません。

 やがて少年は壊れていきました。

 目はうつろになり、ただ一日中ぶつぶつと何かをつぶやくだけの存在になりました。でも、やはり村人は少年を無視し続けました。
 ある日、少年は家の中の金目のものをすべて持ち出すと、一番近くにある大きな街へと出かけて行き、何かを買って来ました。
 それは銃と刃物でした。
 家の中で、買って来たばかりの銃に弾丸を込めながら、虚ろな瞳で少年は小さくつぶやきました。

「オオカミが来たぞう」

 今度のその言葉だけは、ウソではありませんでした。