大正~昭和怪談銘板

第三話 座敷わらし

 座敷わらしと呼ばれるものには二種類がある。
 一つは、屋敷に憑くもの。それが訪れると家は栄え、それが去ると家は没落する。そんな存在。
 もう一つは、子供たちが遊んでいるといつの間にか加わっているもの。人数が本来の数よりも一人多くなっているけど、どの子が加わったのかはそのときは誰にも判らない。
 今回お話するのは後者のケース。いくつもある目撃談の一つである。


 母は和歌山県立高等女学校の出である。
 第二次世界大戦のとき、この学校も絨毯爆撃に巻き込まれて焼け、大勢の女子学生が死んでいる。和歌山自体は重要な攻撃目標ではなかったのだが、米国のB29超重爆撃機の帰還のコースに当たっており、機体を軽くするためにそれまでに投下しきれなかった爆弾をすべてこの街の上空で捨てていくということから、結果的に街は焼け野原となったのである。
 学校に在籍していた学生たちの名簿もこのときに丸ごと焼けており、在校生の確認が困難になってしまった。そこで戦後、生き残った女子学生たちが集まり名簿を再編成することになった。全員の記憶を寄せ集めれば名簿の復元ぐらいはできるだろうと考えたのだ。
 なにせ一家丸ごと全滅というケースもあるので、在籍していた本人たちの記憶だけが頼りであった。

 あの子はどこの子で名前は何だっけ?
 何度もその種の問いが繰り返された。
 どの子だっけ?
 こんな顔立ちの子よ。
 あ、あたし、覚えてる。
 そうやって少しづつ少しづつ、しかし着実に作業は進み、ついには一人を除く全員の名簿が完成した。
 だが、最後の一人だけが判らない。
 名前もどこの人間かも判らない。生き残った数百人全員がその子のことを覚えていた。ああ、それはあの子ねと、誰もがすぐに思い出した。ところがそれでも身元が不明なのである。確かに名前を呼んだ記憶はあっても名前そのものが出てこない。どこに行っても一緒にいたのに、それ以外については誰も何も判らない。

 あり得ないんだよ。母はそう言っていた。
 「けんじょ」はね、有名な学校だったんだ。「けんじょ」を出ていたら、見合いの際に釣書は要らないって言われていたほど何だから。

 釣書とは見合いの際に相手に渡す履歴書のようなものである。
「けんじょ」は現代で言うなら成績を基準としたお嬢様学校のようなもので、見知らぬ他人が紛れるようなことはあり得ない場所なのである。入れるのは成績優秀な女子のみ。身元が不確かな者は門前払い。ましてや、全校生徒に顔を覚えられるような立場にあって、名前を誰も知らないなどということがあり得るのか?

 テレビの番組で座敷わらしの話に触れるたびに、母はこの話を語って聞かせた。

 もしかしたら、「けんじょ」に憧れたどこかの少女が、制服を手に入れてこっそりと紛れこんでいたのかも知れない。毎日放課後になると、あるいはお昼にこっそりと学校に侵入し、その他の少女たちと楽しく笑いあい、休日に見た映画の話をし、親に黙って入った蔵の中で見つけたセルロイドのレコードの曲について語っていたのかも知れない。
 あるいはどこにでも潜り込む座敷わらしが、ここにもまた出現しただけなのかも知れない。

 座敷わらしというのはどのぐらいの数がいるのだろうか。
 もしかしたら現代でも、あらゆる会社には必ず一人、仕事をするでもなくただそこに、社員の顔をしている何かが潜り込んでいるということもあるのかもしれない。