少年時代怪談銘板

第四話 言霊

 いつの頃からはしかとは判らないが、私の周りでは言霊が働く。これを私は「言質を取られる」と呼んでいる。

 言霊とは、言葉には霊力がある、との考え方である。例えば、縁起の悪いことを言う、という表現があるが、悪い結果や予想を言葉にすると、それが原因で悪い結果が引き起こされると考える。これなどは言霊の思想である。
 放たれた言葉には魔力が潜みそれを実現しようと働く。

 私の周りではこれは顕著である。というより、言葉が現実に影響すると言うよりは、これから起こる結果に合わせて、その前に予兆という形としての言葉が発せられると考えるべきなのだろうが、たまに例外もある。

 高校の部活の仲間たちとふと立ち寄ったデパートのことである。
 ゴルフ用品売り場にゴルフのパット練習用のミニコースがあった。冗談でそこに備えてあったパターを握る。もちろん、パターを握るなんて初めてだ。それを振る手つきを見ていたどこかのおじさんが大声で断言する。
「絶対に入らない。入ったらわしはゴルフを止める!」
 馬鹿だな、と思った。私の前で勢いで何かを豪語するなんて。まあ赤の他人なのだから知らぬも当然なのだが。
 もうこの時点でこれから何が起こるのかは薄々判っていた。適当に打ったゴルフのボールは信じられないような複雑な軌道を描くと奥のカップに沈んだ。
 そのおじさんが本当にゴルフを止めたかどうかは知らない。だが恐らくは止めなかっただろうし、その結果止めざるを得ない羽目に追い込まれたのだろうとは思う。
 私の周囲で何かを高言したものは、その言葉の責任を取らされる。
 ただし、明らかに言霊を操ろうとして放った言葉は無視される。例えば「宝くじが当たれ」などという言葉には反応しない。意図的には使えない仕組みらしい。

 ある年はミカンだった。
「今年はミカンがたくさん食べたいねえ」母と話していたら、その年は母の友人も親戚もすべて、そうだミカンを送ろう、と考えたらしい。
 わずか親子二人の世帯に、特大ミカン箱が三箱同時に届いたときは悲鳴を上げた。一人の親戚は送る前に母に連絡を入れてきた。「ミカン送ろうと思うのだけど」
 近所から配り始めて職場の警備員詰所までにバラ撒いて事なきを得た。
「我が家の守護霊さんは加減と言うものを知らないね」と母が笑う。
「これからは口を慎もうね。どこで守護霊さんに聞かれているかわからない」と私。
 これが桃でなくてよかったね、とは言わない。そんなことを言えば来年どうなるのかが大体予想がつくためである。桃はミカンなんかより格段に痛みやすいものだ。


 でも笑い話では済まないこともある。
 実はこれが、守護霊などという素敵なものではないことを、私は知っている。


 言霊の恐ろしさを本格的に知ったのはミカン事件を遡る大学生の頃。
 姉の結婚相手の伝手で、デパートでアクセサリーの販売のバイトをしたときの事である。二週間に渡ったバイト自体は恙なく終わり、皆で打ち上げと相成った。
 その席て、バイト先の雇い主が自慢話を始めた。昔は暴走族をやっていたというその手の話である。オレは自分の心の思うまま自由に生きたぞ、お前の青春はどこにある、というところに話が行きつき、次のセリフが飛び出した。

「オレはな、これから自分が何をやろうが絶対に後悔だけはしない、と誓ったんだ。どんな結果に終わろうが自分を憐れんで泣くことだけはしないってな」

 まだ私についている言霊というものの本質を掴んでいなかったため、迂闊にもこれを聞き逃してしまった。もっとも、私がその発言を取り消させたとしても、効き目があるかどうかは疑問なところであるが。

 バイトが終わり、半年も経ったころ、人の不幸話が大好きな兄が噂を聞きこんで来た。
「お前も知っとろう。あの人。今度、子供が産まれたそうな」

 その子供な、三ツ口だった、と続けた。

 三ツ口とは正式名称は口唇口蓋裂と言う。人間の頭蓋骨の形成は、まだ胎児の段階で左右から伸びて来た頭蓋骨が中央で一つに結合するという経路を通るが、この手続きにミスが生じると発生する奇形である。意外と発生確率は高く、命に別状は無いわりに見た目が非常に悪いので、悲惨である。

 でも手術できるんでしょ、と私。
 それがのう、と兄。
 兄はとにかくゴシップが好きな男であった。
 何でもあまりにひどい三ツ口のため、手術もできんらしい。あの人、産まれたばかりの子供を抱いて大泣きしよったという話じゃ。
 可愛そうに、と兄は続けた。女の子らしいけどな。

 驚愕する心の片隅で、冷徹な何かが感心した。私の頭の中はいくつかに分割されていていくつもの異なる人格が同時に走る。

 なるほど。

 自分のやったことが原因で子供ができた。そしてその子供のことで大泣きした。

 言霊は。あのとき吐かれた言葉を正確に解釈して、そして同時に彼の心を完全に打ち砕く道を用意した。正確ではあるが、正しくはない道を。
 彼が流しているのは後悔の涙ではない。そしてまた、自分を憐れんで泣いているわけでもない。彼が言った言葉は正確に守られている。
 だがそれでもこれ以上の悲哀があるだろうか。

 何という底知れぬ悪意に満ちた諧謔性。パラドックスの恐ろしい解決法。
 この言霊はいったい何者、いや、何物なんだ?


 それから長い年月が去った。
 近くで危うい言葉が吐かれるたび、手を振って、今のは無し、と言うのが癖になった。変なやつとは思われるが、後で罪悪感にむしばまれるよりは幾分かマシである。

 ある日、母が膝関節変形症になった右足を摩りながら言った。
「歩くたびに金槌で膝を思いっきり殴らるように痛むよ。これなら早く死んだ方がマシだよ」
 うっかりと、聞き逃してしまった。母に変に思われようがすぐに取り消すべきだった。
 だが、人は自分で言ったことには責任を持たなくてはならない。言葉と言うものはそれほど軽いものではないし、軽くあるべきでもないのだから。そうも思っていた。
 ほどなく母に末期ガンが見つかり、その生涯は終わった。


 言霊は今も私の周りで言質を取ろうと待ち構えている。