少年時代怪談銘板

第六話 折り鶴ラン

「信じられないでしょ。栄養学上の奇跡なのよ」
 微かに聞こえるのは叔母の声だ。母が叔母と電話をしている。

 叔母は障害児教育に携わっていた。これは担当している自閉症の子供の話である。
 その子供は今年で小学六年生。脅迫概念による摂食障害を持ち、食事は極めて限定されたものしか食べられない。すなわち、コッペパンと牛乳。この二つである。物心ついたときから、それしか食べない、食べられない。それ以外を食べさせようとすると、大暴れする。
 誰もがこの子は成長することなく死ぬ。そう思った。
 大方の予想を裏切って、この子は栄養失調になることなく、成長している。ただし、偏食が治ることは無かった。
 確かに栄養学上の奇跡だ。いや、栄養学をまったく無視しているという意味での奇跡だが。

 その親子にとっては、色々と介助してくれる叔母はまさに命綱だったらしい。お礼にと、折り鶴ランの鉢植えをくれた。

 それから二年も経った頃、その子は死んだ。死因は不明だが、恐らく栄養学上の奇跡が尽きたのだろう。
 どのような奇跡にも限界はあるものなのだ。

 そのときから夜になると、庭から声がするようになったということだ。
 死んだその子の声が、貰った折り鶴ランから聞こえて来る。
 これは困りものである。
「気味悪いけど頂き物を無下に捨てるわけにもいかないからねえ」

 そんな経緯で、折り鶴ランが母の下に送られて来た。
 これも困りものである。自分が始末に困るものをどうして親族に押しつけるのか。正直精神を疑う。
 そんなもの捨てたらと母に言うと返ってきた言葉は。
「気味悪いけど頂き物を無下に捨てるわけにもいかないからねえ」
 同じセリフである。物を捨てられないのは昭和一桁台生まれの特質なのか。

 折り鶴ランは長い間我が家のベランダで生き延びていたが、別に声を放つわけでもなく、ただの草の鉢植えとして一生を終えた。