歴史書銘板

めでたきこの日に

 ほんにめでたい事じゃあ。善いことじゃあ。こんな日を迎えることができるとは、長生きはするもんじゃのう。
 数年前の出来事が嘘のようじゃ。あの時はもうこの村もおしまいかとも思うたが、まさかこんな日が来ることがあろうとはのう。ほんにめでたい。

 わしは今年で幾つになってしもうたかのう。はて、とんと思いだせんぞ。まあ、善いわ。この歳になっても結婚式とはめでたいものでのう。
 ほれ、ほれ、あの嫁はんの恥ずかしそうな顔。それでいて男との初めての夜に対する期待が、ほれ、ほんのりと頬の辺りに紅となって浮かんでおるわい。いいものじゃのう。それにしても五郎左の奴、花婿のくせに何という顔で座っておるのか。嫁を貰うのはこれで二度目じゃというのに今さら何を固くなっておるのじゃろう。ほんに五郎左は上に馬鹿がつくぐらい真面目な男よのう。
 ああ、これはこれは有り難いことじゃ。ほんに旨い酒じゃ。五臓六腑に染み渡るとはこのことじゃわい。村の秘蔵の酒はこんな時でなくては飲まして貰えないからのう。しかし、ほんにめでたい。あの飢饉のときには、さしものこのわしも、もう駄目じゃと思ったが、こんなに善い光景が見られるとはほんに長生きはするもんじゃのう。

 人を喰ってまで生き延びたかいがあったというものじゃ。

 ほんに何度見ても、きれいな嫁はんじゃ。砂蔵のところのあの鼻を垂らしておった小娘が、まさかこんなに奇麗な嫁さんになるとはのう。はて、そう言えば砂蔵の所には何人ぐらい娘がおったのか。うむ、わしも歳を取った。とんと思い出せぬわ。いや、思い出した。あの飢饉の時に、口減らしじゃ言うてこの娘の他は皆売り飛ばしたはずじゃ。気の毒なのやら羨ましいのやら良くは判らんが、この娘だけが余りに幼くて売れ残ったと聞いたが。
 砂蔵の所に泥棒に入ったのはいったい誰だったのじゃろうか。いや、もしかしたら村の者全部だったのかも知れんわな。はて、わしはどうじゃったのだろうかい。盗みに入ったような入らなかったような。しもうた、とんと思いだせんわ。
 はてさて、恐ろしいものよのう。娘を売ったから一生食うに困らぬと豪語していた砂蔵が、何もかも盗まれて、次の日にはなんと茶碗の底の飯粒を舐める有り様よ。それがまた季節が一つ二つ過ぎ去って見れば、母親の股に喰らいついていた痩せこけた子供が、今や立派な花嫁か。ほんに人の運勢とはころりころりとようも猫の目の様に変わるものじゃ。山から谷へと、谷から山へと。

 まあ、砂蔵のかかあも子供のためになったことじゃ、喰われたのを怨んではおるまいのう。

 それにほら、あの花嫁の唇の赤くて奇麗なこと。あの唇の中にはたっぷりと熱い血を含んでおるのじゃろう。軽く噛んだだけでも口の中一杯に真っ赤な血の味が広がって、乾いた喉をうるおしてくれるに違い無い。それに見るがよい。あの唇の裏の濡れたぬめりとした艶を。口を吸って奥の方に舌を差し込めば、これもまた熱いぬめりとした舌が待ち構えていたように迎えてくれるのじゃろうて。なんとも、実に見事な、惚れ惚れする唇じゃのう。わしがもっと若ければ飛びついて行って口を強う吸うてやるものを、ほんに残念なことじゃ。

 あれほどの見事な色合いは、何か塗っておるのかのう? それとも人を喰ったせいかのう?
 ああ、咽が乾いた。酒をもっとくれんか。それに少しばかり腹が減ったわい。ご馳走はまだかいな。

 おお、五郎左めが照れおって。真っ赤になっておるわ。そうじゃろう、そうじゃろう。あの五郎左めがあれほどの嫁御を貰うことになろうなどとは誰も思わなかったわい。
 五郎左の家は特にひどかったからのう。村の中でも真っ先に稗も粟も尽きて、食うてはならぬ種モミにいの一番に手を付けたわい。それはそれは庄屋様にこっぴどく怒られたものじゃった。が、じきにどの家も同じことをしたわのう。山にも海にも食うもんは何も無かったし、領主と来たら下の者の苦しみなどどこ吹く風といった体たらく。凶作にも関わらず年貢は例年の如くに収めよとやりおったからのう。種モミを食うてしもうたからには今は良くても来年また飢えるは必定じゃが、何、今年の暮れを乗り越えられるかどうかも判らぬ時に、誰も来年のことなど考えはしなかったわい。

 思い出したわい。五郎左は、ほんに真面目な男じゃからの。飢えに耐えきれずに死んだ女房を喰らうときも涙を流しながら喰ろうておった。それはもう滝のように涙を流してのう。悲しい、悲しい、そう言いながら、それでも口を動かすことは止めずに。喰うてからまた、旨い、旨い、それが悲しいとか言うて、また泣いておったわのう。
 あの飢饉で働き手を無くした女房どもは幾らでもおったが、前の女房に悪いからと、とんと女には近づかなかった五郎左もようやく忘れる気になったようじゃ。はて待てよ、五郎左の前の女房はそんなに長い間忘れられぬほど味が良かったのかのう。わしも確かにご相伴に預かったはずじゃがどうしても思いだせん。まあ、善いわ。ほんに五郎左は真面目な男じゃから、この縁談がまとまってほんに善かったのう。

 今度の嫁御はほんに肉付きもいいで、また飢饉が来ても大丈夫じゃのう。ほうれ、ほれ。何を睨んでおる皆の衆。酒は旨いし、食い物もたっぷり、こんな爺に取っても今日はめでたい日ぞな。
 黙れとな? はて? いったい何を黙らねばならんのじゃ。

 おお、庄屋様のお越しじゃ。なんと恰幅の良いお姿じゃ。庄屋さまじきじきの仲人とは、これで五郎左の家も格がついたと言うものじゃ。なんと言っても庄屋様は村の救い主じゃからのう。ほんに庄屋様がいてくださらんかったら、わしらの村は今ごろは誰も住まぬ荒れ地よ。ほんに頼りがいのある庄屋様じゃ。
 村を通る旅人を殺して、食い物と金目のものを盗むように指図したのは庄屋様じゃからのう。お蔭で何とか生きていける程度には飢えがしのげたものじゃった。おうおう、思い出した。砂蔵の娘が今着とる花嫁衣装も確か旅人から奪ったもののはずじゃ。あの呉服商人は上方から来たと言うておったな。まさかこの辺りの飢饉がこれほどひどいとは思わなかったとも言っておったわ。うまく言いくるめて庄屋様の家に泊まってもろうて。
 いやはや、あれはまた、よう太っておったわ。ひひひ。また、あんな旨い肉をまた喰いたいもんじゃのう。

 おお、これはこれは庄屋様。有り難や。こんな老いぼれ爺に酒を注いで下さるとは。
 はあ、黙れ?
 何を黙るのですかいな。わしは先程から、これこの通り、静かに酒を飲んでおりますわい。

 おお、やっと神主が来ましたな。これで式が始められますわい。祝いの席に神主を呼ぶのは、この村の古くからの仕来りじゃからのう。そう言えば有り難い祝詞を聞くのも久しぶりじゃ。
 はて、自分でも妙な事が気になるが、この神主はあの飢饉の中をどうやって過ごしたのじゃろう?
 あの時に、神社に食い物を寄進する余裕のある者なんぞ、この村には誰もいなかったはずじゃが。それにあの貧乏神社には売ることのできるような金目のものなぞ無いはずじゃったがのう。さすがに神様に仕えるものには大飢饉と言えども手はだせんということか。だとすれば、神様とはほんに有り難いものじゃ。そう言えば、神社の畑ならば飢饉と言えども何かできているだろう、などと言うて出かけていった村の若い衆は二度と帰って来なかったが、どうなったのかいのう。おおかた天罰が当たったのじゃろうて。あの後は男手が足りなくなって隣村を襲うのにもえらい苦労した覚えがあるわな。

 はて、どうしたのじゃ。皆の衆。何ゆえにそんなにわしの顔を睨みますのじゃ。式は始めませんのかいな?

 ああ、ありがたいお言葉じゃ。神に上げる祝詞じゃ。これは何とも心が洗われるようじゃ。こうしておればこのわしの業深い心も救われるのかのう。ああ、善い光景じゃのう。人を喰ろうてまでも長生きはするものじゃ。二人とも良い夫婦になって丸々と太った子供をたんと生むのじゃぞ。また、飢饉が来ないとは限らんからのう。

 ああ、何をなさる。皆の衆。わしがいったい何をしたと言うのじゃ。あ、これ、痛い。手荒なことをなさるな。痛い痛い。わしをどうする気じゃ。どこへ連れて行く気じゃ。
 ひひひ、判っておるぞ、知っておるぞ。ずっと隠れて喰っておったことをな。
 飢饉は去っても生まれて初めて口にした旨い肉のことは忘れぬものじゃ。人の肉は天上の美味じゃわい。思い出してもよだれが止まらぬわい。ひひひ、あの味は忘れられるものでは無いわな。世間ではこの村のことを何と言うておるか知っておるかな。人喰い鬼の住む里じゃと。今では旅人の間にも噂が広まったのか、村を訪れる者も滅多に無いわなあ。

 ひひひ、わしも喰うのか。喰うのであろう?

 判っておるわい。逆らいなどするものかい。わしも今までに多くの者を喰うて来た身よ。そのわしが村の若い者達に喰われるならばこれはもう本望と言うものよ。やはりめでたい席には旨い酒と肉がなければならんわい。酒はたんとある、あと必要なのは肉だけよ。ひひひひ。やれめでたい。あなめでたい。骨の髄までも残さず喰って欲しいものよ。

 さてさて、わしの肉を喰われることに異存は無いが、死に行くものにせめてもの手向け、是非ともこのわしにもその肉を一口だけでも喰わせてはくれんかの?