オペレーション・アルゴ銘板

2)英雄たち集まる

 ギリシアにおける冒険の鍵を握るのは英雄たちである。
 とにかくギリシアという国には怪物の類が多い。陸には走り回る巨大なライオンやヒドラ、海には船を襲うスキュラやセイレーン、空にはハルピュイアやキメラと言った具合にだ。これらの目の前をすり抜けて、あるいは退治して進むのは普通の人間には容易ではない。

 その主たる問題は武力ではなく、政治である。

 ひ弱な人間と言えども、きちんと武装をして軍団を組めば、怪物の一匹や二匹倒せないわけではない。ところが前にも言ったように、怪物の多くは神々の血を引いている。どのような理由があれ、怪物を殺せば、その血族たる神々を怒らせることになる。そんなことになれば、たちまちにして街は、疫病と戦乱とあらゆる自然災害の巣にされてしまう。
 だからこそ、怪物退治には同じく神々の血を引く英雄が必要になるのだ。それもできれば大神ゼウスの血を色濃く受け継ぐような由緒正しい英雄が。
 要約すればギリシアには、厳然たる身分制度が存在するということだ。
 一番上が大神ゼウス。雷を武器とする天空と大地の支配者だ。次順は海神ポセイドン。海の上の出来事すべてを支配する。末席に来るのは冥王ハデス。死者の国の主で、地下世界の王である。そしてその他の神々は多かれ少なかれみなこの三神に繋がっている。北風の神などの小神や、神の血を引く英雄たち、そして問題の怪物たち。すべて誰かの身内である。
 人間はその最下層に位置する。極論すれば、神々に捧げものをするためだけに、人間は生存を許されているのに過ぎない。人間は怪物を倒してはいけない。それは一種の神聖冒涜になってしまう。怪物を倒して良いのは、同じ神々の血を引く英雄たちだけなのだ。

 かくして、アルゴ号の冒険に必須である英雄たちを集めることになった。

 アルゴ号が大冒険に出るために英雄を募集している、との噂がギリシア中に流された。三食昼寝に酒がついた優雅な船旅の大冒険である。
 街に出入りする商人たちが。巡礼途中の旅人たちが。空を飛ぶ怪物たちでさえ。この大冒険を噂した。
 英雄というものは戦争のときや、何か難事があるときには人々に歓迎されるが、平時は全くの役立たずであることが多い。自らの存在理由とすきっ腹を満たすために、英雄は常に冒険を求めている。
 これこそ文字通り、渡りに船。ギリシア中の英雄たちがこぞってアルゴ号の元に集まった。

 街に最初に現れた英雄は、カライスとゼーテースの兄弟だ。二人とも風の神の子であり、背中に大きな羽を生やしている。空を飛んで来ただけに、街への一番乗りを果たした。
 とにかくギリシアには空を飛ぶ怪物の類が多い。名工たるダイダロスが鳥の羽根を模した人工羽を作って空を飛んで以来、ギリシアでは人の形をしたものが空を飛ぶことに何の抵抗もなくなっている。それどころか羽が生えていないものさえ空を飛ぶ。今回遠征の目標である金の羊毛の持ち主である金の羊でさえ、羽も無いのに空を飛んだほどなのだから。
 それを考えれば、空を飛ぶ怪物に対抗するために、こちらも空を飛ぶ英雄がいた方が心強いというものだ。二人は大歓迎された。

 続いて到着したのはかの有名な英雄ヘラクレス。巨人のような体躯に素晴らしい精気を漲らせて、お供を連れての参加だ。英雄たちの中でも最も力ある存在であり、もっとも名誉ある存在であり、もっとも怪物退治の業績を挙げている英雄であるヘラクレスはまた、もっとも態度のでかい英雄でもあった。それも当然、大神ゼウスの直系とも言える半神半人であり、並みの人間の王様ごときでは頭も上がらない存在なのだ。
 彼は王の宮殿のもっとも大きな部屋に居を構えると、ありったけの飲み物と食い物を要求した。

 文字通りの鳴り物入りで登場したのは、竪琴の名手であるオルフェウス。彼が音楽を奏でるとそれを聞いたものは、人であろうが怪物であろうが感動に涙する。もちろん腕力という点ではからっきしの優男である。それでもそのルックスと相まって街中の女たちが夢中になったのだから、他の英雄たちは面白くない。彼はきっと女性のトラブルで命を失うのだろうな、と皆が皆、心の中で思ったが賢明にも口にはしなかった。

 ミノタウロス退治で有名なテーセウスは細身の敏捷そうな若者だ。特に言われない限り彼が英雄だとは外見からは判らない。彼はひっそりと王の館の一室にこもりきりになり、ただ静かに出港の日を待った。

 ペーレウスやテラモーンのような名前の売れていない自称英雄たちも集まって来た。
 小神を親に持つ連中で、親から受け継いだ力も中途半端、今までにさしたる業績も上げてはいない。それ故にこそ彼らは「自称」英雄なのである。語る冒険があってこその英雄であり、それが無ければただの無職のごく潰しであることはこれらの小英雄たちも判っているようで、もっぱら他の大英雄に取りいって、冒険の一端にでも名を残そうとしている。

 その点では我らが「英雄」イアソンも同じで、この冒険が成功すれば今後英雄として扱われることになるが、そうで無ければ今のイアソンがそうであるように、将来においてもただの流浪の王子でしかない。

 誰もが名誉と栄光に飢えていた。
 誰もが明日の大英雄を夢みていた。