ファンタジー短編中編銘板

剣の夜、微笑みの月:邪眼(後編)

4)

 少年が逃げた先はすぐに分かった。廊下に顔を抑えて呻いているゴブリンが点々と倒れていたからだ。
 カトプレパスの死の凝視は意外と器用に使える。気絶や失明から石化までその気になれば効果の強度を変えられる。今は興奮状態だから目があっただけで失明するレベルだろう。
 廊下を抜けて出た先は洋館の裏手だ。バイクの音がして少年が飛び出てくると道路を一目散に逃げ出した。750ccの大排気量のバイクだ。少年の体で御しきれるものではない。
 私は体のギアを入れて走り出した。
 道路を恐るべき勢いで走る神父。外から見たらきっと異様な光景だろう。
 少年のバイクは前を行く車の間をすり抜ける。そのすぐ後ろを神父服の私が追う。前の車の横を抜きざまに、目を丸くしている運転手に軽く手を振ってみた。
 私の追跡に気づいて少年がバイクの速度を上げる。
 いけない、ここまで速くすると事故が起こる。そう私は見て取った。
 頭の中でシミュレーションをする。
 私がバイクに飛び乗る。少年がハンドル操作を誤りバイクが横倒しになる。衝撃で少年の頭が割れる。駄目だ。
 少年の横に並んで走り説得を試みる。私から逃げようとしてバイクが転倒する。これも駄目だ。
 後ろから飛びつき、バイクの上から少年だけを攫う。バイクはそのまま走り、どこかに飛び込んで大事故へと繋がる。駄目だ。
 だが最後の案は悪くない。実行するなら次のカーブだ。
 私は心を集中した。神経反射が加速されるにつれ、周囲の時間が引き延ばされる。時速百二十キロの世界の中でタイヤの数ミリの位置まで感じ取る。体の筋肉と神経に次の動きを教えておき、発動を待機させる。訓練された人狼の力と、禁忌とされる魔術の集大成こそが成せる技だ。
 今だ。私は跳び、少年の体をバイクの上から攫い取った。
 主を失ったバイクは一直線に進み、カーブを突き抜けて地面の上を転がり火花を上げた。
 私は神父服の裾をはためかせながら、空中で姿勢を整え、時速百二十キロでの接地の瞬間を計る。右足で地面を蹴り、左足で地面を蹴り、その度に軽くブレーキをかけていく。一瞬でも力の加減を間違えれば体勢は崩れる。そうなれば体は回転して地面を転がることになる。その場合はひき肉になった少年を腕に抱えたボロボロの神父服の男が一人出来上がる。
 十歩の内に止まった。足が触れた地面に点々と大きな穴がえぐれている。人狼の骨でなければこの大地との接触であっさりと折れて終わっていただろう。
 ミッション終了。完全停止。
「無茶はやめろ」少年に向けて言う。
 青い顔をした少年が私の腕の中で目を回している。私は素早く手を伸ばすと少年の額を抑えた。カトブレパスの眼がある辺りだ。
「それは使うな」
 カトプレパスの邪眼は自身の生命力と引き換えだ。使いすぎると死ぬ。
「俺を殺すのか」少年は必死の形相だ。
「何のために?」
「復讐だ。俺はそちらのメンバーを何人か殺している」
 おやおや、自供か。というよりある種の諦めだ。私の力は十分に見たろうから。
「誰も死んではいない」私は答えた。
 これは本当だ。治療能力持ちがいれば石化は死と同意語にはならない。
「嘘だ」
「私の言うことを否定して君に何の得がある?
 とにかく君は人を殺していない。それに私は君を殺しに来たわけではない。殺す気ならバイクから蹴り落とすだけで済んでた」
 火を噴きあげるバイクを横目で見ながら、私は少年を地面に下ろすと背を向けた。神父が少年をお姫様だっこしているのを他人に見られたらどんな噂が立つか分からない。
「ここは騒がしくなるな。ついてきてくれ、君に話がある」
「いったい俺に何の用が」
 正直に話してしまっていいかな?
「君をスカウトに来た。対策局で働く気はないかね?」
「対策局?」
「君に石化された連中が働いていた職場だ。御覧のとおりに危険な職場でね。特殊能力持ちは喉から手が出るほど欲しい」
「俺が欲しい?」
「君が欲しい。ところで君の名前は何という。ボーンズだけじゃないんだろ?」
「ボーンズ・アーメット・ゲネットです」
 敬語になった。うん、良い兆候だ。こちらを雇い主として認めたということだ。
 エイオピアでの命名法は、自分父親祖父の順に名前を並べる。となるとこの子の父親はアーメットという名になる。
 記憶を探ってその名前に思い当たった。
「もしや君の父親は『睨み目のアーメット』と呼ばれていなかったか?」
「それには聞き覚えがあります。もしや神父さんは親父の知り合いですか。俺が生まれた直後に親父は死んだという話ですが」
「ああ」私は遠い目をした。「彼は私の部下だった」
「親父は対策局の職員だったのですか!?」
 それは違う。当時は私は対策局ではなかった。

 アーメットは忠実な男だった。まだ私がダークだったときの。
 彼の死因は大天使との闘いだ。体を上から下まで炎の剣に真っ二つにされて死んだ。代わりに相手の大天使も石化してその戦いは終わった。
 出来上がったばかりの大天使の石像はダークが粉々に砕いた。その大天使の本当の標的は私だったのだ。
 つまり私は彼の父親に命一つ分の借りがあるということになる。
 ダークはそれを借りとは考えずに、すぐに彼と彼の家族のことを忘れてしまった。それがダークという男だった。自分を救うために他者が命を投げ出すことをむしろ当然と思うほどに傲慢な男だった。
 もっともその直後にダークには神との対決が待っていたのだから忘れても無理はないのだが、それは言い訳にはならない。

 一緒に歩きながら私は彼に謝った。
「君のバイクには悪いことをした」
「構いません。どうせ盗品です」
 おやおや、どうやら盗みの罪について彼と話をしないといけないようだな。
 この子の罪に神よ。お許しを。アーメン。



 今の時代は良い時代だ。はぐれた仲間とすぐに合流できる。もっとも私が持つスマホの寿命はどれも短い。たいがいどこかで壊れて終わる。対策局の人狼の生活はハードなのだ。
 ホテルのレストランでアンディたちと待ち合わせた。今日はここで一泊した後、明日出発だ。
 簡単に自己紹介をした後、ボーンズ少年は山ほど注文した料理をエマと一緒になって平らげた後、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。
 余程疲れていたのだろう。
「マスター。彼はカトプレパス?」アンディが訊いてきた。
「カトプレパスだ。カトプレパスは雄性遺伝だ。代々生まれた男に力は受け継がれる」
「彼をどうするんです?」
「対策局で雇う。そうアナンシ司教にねじ込む」
「うん、そうなれば彼はエマの弟弟子ということになりますね」
「教育係はまたアンディに頼むことになる。よろしく頼む」
「あら、あたし、弟ができたってこと」
 まだ口に物を頬張りながらエマが言った。
 うん、彼女とは礼節の大切さについて話し合わなくてはいけないな。私は心にメモをした。
「そういうことになるな。私は彼の父親に借りがある。彼の親父が死んだのは私の愚かさのせいだし、彼がゴブリンどもの下で働くことになったのも、元はと言えば私のせいということになる」
「あの時代の話ですね」とアンディ。こちらは一足先に食後のコーヒーをいただいている。
「マスター。昔のことってあたしには教えてくれないんですか?」
「あまり話したくないんだ」私は言い訳をした。
 間違った応対だった。その一言でエマの好奇心に火をつけてしまったのが分かった。
 私は早々に降参した。どのみちエマは私の過去を探り出すだろう。その過程で本部の連中に聞きまわられるのだけは防ぎたい。
「この話は二度としないと約束しなさい」
 このエサにはエマはすぐに食いついた。
「します!」
 私はギースのサインを作り誓約の言葉を唱えた。
「もう一度。エマよ、二度とダークについて尋ねないと約束するね?」
「します!」
 魔法の誓約の下での了承だ。これの恐ろしさをエマはまだ知らない。だまし討ちみたいで気は引けるが、私の昔話は危険なのだ。
 ふわりと何かが私と彼女の上にかかる気配がした、注意していないと気づかないほどの微かな魔力の気配だ。我らの誓約は精霊に聞き届けられ、記憶された。
 いつの日か彼女はまたダークについて話を訊こうとして、それができないことに気づくことだろう。

「昔むかしその昔、あるところに一人の愚かな男がいた・・」
 私は話始めた。


5)

 その男はあまりに愚かなために、自分が何をしているのかを理解していなかった。
 自分の力に驕り、男は闇の勢力を束ね始めたのだ。人狼吸血鬼闇精霊たちを手始めに、あらゆる魔物怪物を取り込みながら、男はその勢力を着々と拡大していった。悪魔の小団体を傘下に収めた頃からその勢力の成長は加速し、無数の屍の上に、やがて闇の勢力のほぼすべてを手中に収めることになった。
 男はそれが自分の野望の結果だと信じていたが、実際には闇の勢力たちの欲望が形になっただけのものだった。それらに取って神輿の主は誰でも良かったのだ。

 闇の中の勢力の台頭は対極の勢力の注意を呼び覚ました。天使たちが下界に降りてきて、何が始まっているのかを探りだした。
 こうして天界と魔界の大戦は始まった。最初は小競り合いから始まり、それは急速に下界全域に広がった。戦乱と闘争の炎が燃え盛り、悲嘆と悲劇の幕が開いた。
 後にこれは闇大戦とただ一言だけで呼ばれるようになった。ごく一部を除けば人間たちにはあずかり知らぬところでの戦いであった。
 その能力だけに収まらずに、あらゆる魔物と魔導書と魔道具の力を借りて、その愚か者はついに天使の牙城の一角を崩し、天界の中心たる光の玉座へと攻め込んだ。
 そして神と対峙した。

「神さまに出会ったんですか!?」エマが目を丸くした。
「出会っていないよ。玉座は空だったんだ」
「なんだ」エマが落胆した。

 だが玉座は本当の意味で空ではなかった。
 神は実体を持たなかった。それ以上の存在であったから。
 それは宇宙そのものであり、一つの大いなる意識であった。それに実体はない。他とは分離できないのだ。そして意識はあったが人間で言うところの自我は持っていなかった。
 存在している空間自体がそれであり、流れゆく時間のすべてがそれであった。あらゆる肯定がそれであり、あらゆる否定もまたそれであった。
 光はそれであり、闇もまたそれであった。
 人間たちが神と呼ぶ存在は、まだそれを正しく表す言葉を創りだしてはいなかった。

 神はその愚かな男の挑戦を受けず、戦いもしなかった。
 その代わりに神は分け与えた。

 神の中にあった無数の経験の内から百年分を。大勢の人間や魔物や天使、それに大地や大海に生きてきたあらゆるものたちの経験を、私の中に流し込んだ。
 莫大な水流に飲み込まれるように、私はその経験に飲み込まれた。無数の人生が注がれ、無数の後悔と欲望、そして喜びが与えられた。
 私は止めてくれと叫んだが、神は止めてはくれなかった。
 それは止めどなく注がれ、与えられ、満たされ、詰め込まれた。
 経験は注ぎ込まれる端から忘却されていったが、それでも私は学ぶことからは逃れられなかった。
 すべてが終わった後に、そこにいたのは魔王子ダークではなく、敬虔なるファーマソン神父であった。

 目を丸くして見つめるエマに私は微笑んだ。
「百年の経験を経て、私は成長した。つまりその・・」私は恥ずかしさに言い淀んだが、それでも何とか後を続けた。「・・反抗期が過ぎたんだ」

 自分の黒歴史を見つめるのは恥ずかしい。
 何が闇の王子だ。何が魔界の先陣だ。何が世界を手に入れるだ。
 数多の愚かな独裁者と同じ幼稚な幻想にどっぷりと浸って、あの愚か者はいったい何がしたかったのだ。あの時の私はただただ権力に飢えていただけだった。
 ボーンズ少年のような犠牲者を量産しながら、その目的すら定かではない血まみれのマラソンを続けていた。
 これを恥と言わずして何を恥と言おう。
 ただ無目的に燃え広がる炎。その存在のどこに誇りがある?
 終わることのない飢え。そのことのどこに美しさがある?
 ただ人の上に立つこと。そのことのどこに人生の意義がある?

 それに比べて今の私は日々を充実して生きている。
 公園の陽だまりの中で育やかな風を楽しむことすらできるようになった。
 地平線に沈む夕日を美しいと感じることができるようになった。
 笑いさんざめく仲間たちの中で幸せとまで感じることができるようになった。
 どれもダークが持ちえなかったもの。
 どれもダークが知りえなかったもの。
 どれもダークが味わえなかったもの。

 私が神に洗脳されたのだと噂する奴らもいる。
 だが真実は違う。私は学んだのだ。
 そしてまだ学び方が足りなければ神は何度でもその経験を分かち合ってくれるだろう。

 それだけは願い下げだ。

「だからな、この話は二度と私に聞くな」
 私は締めくくった。これ以上話していては恥ずかしさの余りに顔が燃え上がってしまう。


6)

 暖かな日差しが差すテラスで私たちは出発前の時間を潰していた。
 予定の列車の発車までまだ二時間はある。最後に皆でちょっとショッピングを楽しむかと考えていた。
「これを見てください。マスター」
 アンディが自分のスマホを私に差し出した。そこに映っていたのは何かのSNS
の映像だ。車に並んで道路を疾走する神父服姿の男が映っている。
「走る神父だそうです。新しい都市伝説になりそうですね」
 なんとも騒がしい時代だ。何でもかんでも動画に取られ、流布されてしまう。この動画をアナンシ司教が見たら何と言うだろう。お小言を食らうのはまっぴらだ。
 その時、アンディがいきなりボーンズ少年に飛び掛かり、引き倒した。
 それを見て私は集中状態に入った。訓練された人狼は集中状態に入ることでもともと高い人狼の肉体の能力を最大限まで引き上げることができる。神経が加速するにつれて、世界が私の周りで相対的にゆっくりになる。超高速の世界の中で私は周囲を見渡す。きっとエマには私の顔がブレて見えたことだろう。
 あった。ライフルの銃弾だ。空中をこちらに進んでくる。銃弾はさきほどボーンズ少年の頭があった場所を目指している。そしてその先には見知らぬ男女がお茶を飲んいる。このままでは彼らに悲劇が訪れるだろう。
 私は糖蜜のように抵抗する粘つく空気の中に手を伸ばして、空中の銃弾を指で掴んだ。指の中で回転する弾丸が暴れる。皮膚が焦げるのが分かったが無視した。やがて弾丸の動きが完全に止まるとそれを離した。ゆっくりとそれは自由落下に入る。
 銃弾が飛んで来た方向に目を向ける。視界が拡大され遥か遠くの光景が見えるようになる。
 見つけた。十階建てのビルの上だ。男がライフルを持っている。プロらしく、すぐに銃を収めて逃げ出した。その顔を記憶した所で集中を解く。
 集中状態は疲れるのだ。常時発動することはできない。
「マスター?」アンディが訊ねる。
「プロの狙撃手だな。失敗したとみてすでに撤退している。さて、アンディ。出発まで皆の面倒が見られるかな?」
 返事を待たずに私は立ち上がった。
「ちょっと出かけてくる」

 人がいる街路を人狼の速さで駆ければ大騒ぎになることは必定だ。それに万一通行人にぶつかりでもすれば惨劇がそれに追加される。
 またSNSに動画を上げられるのは困る。
 だから今度はビルの屋上を行くことにした。意外と誰も空は見ないものだ。
 屋上から次の屋上へ跳び、助走をつけてまた跳ぶ。次の屋上に届かないときは途中のビルの壁を蹴って斜めに跳んで凌いだ。これが一番速く移動できる。

 アンディは役に立つ弟子だ。アンディ自身は人間だが、能力者の家系の血が強くでているケースだ。
 予知能力。
 アンディは常に三秒先の未来の中で生きている。彼は三秒先でボーンズ少年の頭が吹き飛ばされるのを見て、現在で彼を庇った。それを私が見て何かが起きたことを知り、アンディより三秒遅れて追いついてきた現実の中の銃弾を掴んで見せたのだ。
 もちろんアンディのこの能力には大きな欠点がある。日常生活や他者とのコミュニケーションが非常に難しくなるのだ。会話一つとっても三秒先の人物への受け答えは、現在の相手に取っては異様な会話に映る。
 そしてこの能力の秘密が敵に知られれば容易に対処されてしまう。例えば近距離での爆弾の爆発に対しては三秒で対処するのは困難だ。それ故にアンディの能力は絶対的な秘密として扱っている。

 先ほどまで狙撃手がいたビルの屋上に着地する。綺麗に痕跡は拭い去っていたが、私には関係ない。男が残した臭いを辿ってビルの中を走る。
 外へ出て後は足早に追う。
 三ブロック先で追いついた。車に乗りかけている男の肩に手をかけるとびっくりした顔で振り返った。目の前にいたのが神父であることに二重に驚いた。
「やあ」私は白い歯を見せて笑った。「話を聞かせてもらえるかな?」



 ゴブリン・ボスはジェットバスから上がるとバスローブを羽織った。ゴブリンは人間の子供ぐらいの大きさしかないから、着るものはすべてオーダーメイドだ。
 それを言えばこの洋館の調度品もゴブリン向けに作らせたものが多い。ゴブリンが群れて自分たちの巣をつくりたがるのも、こういった面での影響が大きい。人間の設備はゴブリンには使い難い。その意味ではこの洋館はゴブリンたちの城なのだ。
 ゴブリン・ボスは無防備な姿で自分のちっぽけな玉座へと戻る。奇妙に廊下は静かだ。いつもは配下のゴブリンが数人はうろついているものだが。
 ボス部屋のドアを押し開ける。どこかの馬鹿が部屋の灯りを消していったらしい。電灯のスイッチをまさぐった所で、異常に気が付いた。ここにはいつもボディガードが控えているのだから、電灯が消えているのはおかしい。
 恐怖が体を走った。ぞわぞわとしたあの感じ。命の危険が迫っていることを知らせるあの嫌な感じだ。
 見たくはなかったが、それでもスイッチを押した。

 目を見開いたゴブリン・ボスを正面から見つめながら、俺は柔らかな笑みを浮かべて見せた。ゴブリン・ボスの顔に浮かんだ恐怖の表情を見ると、存外に怖い笑顔になってしまったようだ。それが俺をひどく傷つけた。
 そうだろう?
 俺はまだ獣化もしていないんだぜ?
「やあ、ボス」俺はそう言って、顎で奴のご自慢のソファーを指示した。「お前さんの王座に座りな」
 やつは大人しくいつものソファーに座った。ここまで漏らしていないのには感心した。思ったよりもガッツがある。さすがボスをやっているだけはある。
「今度はあんたに訊きたいことがあってね」
 言いながら、隅にかぶせてあった布を引きはがす。
「これはほんの手土産だ」
 うずたかく詰みあがったゴブリンとオークの首、首、首。その頂上を飾るのはあの人間の狙撃手の首だ。その首が恨めし気に宙を睨んでいる。
 別にあのまま列車に乗ってここを離れることもできた。こんな小さな組織への意趣返しなど意味がないことだ。対策局はそこまで暇じゃない。
 なのに俺は今こうしている。
 この決定を下したのがファーマソン神父なのかそれともダークなのかは判別がつかない。二人は別人であり、また同時に同一人物だ。それにしても二人はかけ離れすぎている。神の野郎め。いったい何てことをしてくれたんだ。
 この目の前のあまりの光景にゴブリン・ボスは声も出ない。その数からしてこの洋館にいたすべての手下の首がそこにある。恐怖のあまりに顔色が茶色がかる。
「列車の時間が迫っていてね、そう長話はできないから手短にいこう。俺たちはそれなりの妥協点にたどり着いたと思っていた。なのにあんたは狙撃手なんかを送り込んできて俺の庇護下にあるボーンズを殺そうとした。いったい何がやりたかったんだ?」
 ゴブリン・ボスはそっとテーブルの下に手を差し入れると、少しだけ気力を取り戻した。
「ボーンズは色々知っちゃいけないことを知っているんだ。だから口封じをしなくちゃいけねえ」
「あんたが守らなければいけない秘密か」
 俺は鼻で笑った。
「つまらん」
「そちらに取ってはそうだろうな」とゴブリン・ボス。
 手にしたもののせいで、なんとか落ち着きを取り戻している。
「で、その秘密というのはその机の中に隠していたこれかね?」
 俺は首の山の中からそれを引き出した。古い古い本だ。
 ゴブリン・ボスの顔色が茶色から黒に変わった。
「ソロモンの小さな鍵。レメゲトンの第三断片か。きちんと解読できれば大きな魔力が手に入る」
 俺は説明した。
 その通り。本来大きくなったゴブリンの群れは悪魔に統率される。だがこの魔導書を使えば逆に悪魔を使役できる。すべてのゴブリンや魔術師が喉から手が出るほど欲しがっているものの一つだ。そしてその理由からバチカンが第一級の禁書に指定しているものの一つだ。それを所有してよいのはバチカン秘密文書庫だけなのだ。対策局の役目の一つはこういった魔導書の回収だと言えば、その重要性が分かるだろう。
「返せ! それは俺のだ」ゴブリン・ボスが喚く。
「くだらん」
 俺はその古文書を引き裂いた。ゴブリン・ボスの目が驚きに丸くなる。この一冊だけでその真の値段は百億ドルにはなる。
 俺はその残骸をゴブリン・ボスに投げた。
「偽物だよ。それも分からんのか」
 ゴブリン・ボスは慌てて破られた本をかき集める。
「偽物のわけがない」
「匂いを嗅いでみな。インクが新しすぎる。それに山羊の皮で作られている。本物は信仰に準じて死んだ信徒の皮で作られている。つまり人皮だ。それになにより」と俺は続けた。「内容が違う。俺は以前にそいつの本物を持っていたからな」
「だがバイヤーはこれが本物だと言っていた。拷問までして確かめたんだぞ!」
「ではバイヤーも騙されていたということだな」俺は断じた。
「そんな!」ゴブリン・ボスが悲痛な叫びをあげた。
 値段から考えてみれば分かる。本来は組織が持つべきものであり、個人の手が届くような代物ではないのだ。それが今こうしてここにあるとすれば、それは偽物以外の何物でもない。証明終わり。
 今回の返り討ちにあった対策局の調査員たちはこの魔導書の噂を聞きつけてここに来たのだ。それは報告書を読んで分かっていた。
 そして最初にここに入ったときは、臭いでそれが偽物だと分かったので敢えて放置しておいたのだ。ゴブリンにだって夢を見る権利ぐらいはある。
 その思いやりが仇になったというわけだ。俺は心の中で苦笑いをした。慣れぬことはするものじゃない。

「アザースから俺が何者であるかは聞いていたと思っていたが違ったかな?
 まあお前はここ十年でのし上がって来た口だから知らないのも無理はない。あの大戦以前に俺と会ったことがある連中は絶対に馬鹿なことはしない。アザースのようにな。ただ頭を低くして俺が街から去るのを待つのが普通だったのだが」
 そう。嵐が去るのをじっと待つように。津波が治まるのをじっと待つように。だがここに一人だけ、待てない馬鹿がいたというわけだ。
 俺はゴブリン・ボスのテーブルの上から羽ペンを取り上げていじり出した。この行為に意味はない。何、ただの癖ってやつだ。この素敵なペンをゴブリン・ボスの手のひらに深々と刺そうなんてことは思ってもいない。
 そして私は独り言のように呟いた。
「最初は警戒していたお前もいざ俺が目の前から消えると色々と欲が出たのだろうなあ。アザースは大げさに言っているだけだ。本当は俺は大したことが無い野郎で大物ぶっているだけだ。そうに違いない。それにガキを一匹目の前で殺すだけだ。大したことにはならない。そうだそうに違いない。殺してしまえ。とまあそんなところか」
 ゴブリンも人間と同じように冷や汗を流す。俺のつぶやきを聞きながら、ゴブリン・ボスは大汗を流していた。
「まあ本当の所を言えば、お前の雇った狙撃手は失敗したのだし、あのまま街を離れても良かったんだ。そしてバチカンから綺麗な絵のついた観光ハガキを一枚お前さんに送る。ファーマソン神父ならそうしただろうな。それがあいつのスタイルだ」
 コツコツと羽ペンの先で机を叩く。
「あるいは狙撃手の生首にラッピングをしてお前に送るのもいい。それもエレガントでいい。じゃあ何で俺がこうしたかわかるかい?」
 俺は壁の前に築かれた生首の山を羽ペンで示した。
 ゴブリン・ボスは答えない。眼を大きく見開いたままだ。
「それはなこれが俺のスタイルということだ。ただそれだけ」
 手にした羽ペンを投げた。それは狙撃手の首へと飛び、その右目を見事に射抜いた。
 俺はアクビを一つすると立ち上がった。そろそろ飽きてきた。小物を揶揄っていても仕方がない。
「じゃあ、そろそろ終わりにしようか」
 俺はゴブリン・ボスに近づいた。
 必死の形相でゴブリン・ボスはテーブルの下から銃を取り出した。小さな手には余るほどの大きな銃だ。
「近寄るな。この中には」
「銀の弾丸だろ? 匂いでわかる」
 ゴブリン・ボスの動きが止まった。手の中の銃を見つめる。銃も古文書も同じ場所に入れてあったものだ。
「弾は抜いてないよ」俺は指摘した。
「どうして!?」
「あんたを揶揄って嬲るためさ。銀の武器がないと人狼は倒せない。だが銀の武器があったからと言って、人狼が倒せるとは限らない」
 俺はにやりと笑った。最近はこの笑い方が板についてきた。
「撃って見な」
 そう言いながら銃口に自分の頭を押し付ける。
 ゴブリン・ボスは躊躇わずに撃った。引き金を空になるまで撃ち続けた。

 指先の筋肉の動き。神経を流れる電位のひらめき、一瞬小さくなる瞳孔。
 どうしてこの種の生物は撃つ直前に呼吸を止めるのだろう?

 ゴブリン・ボスは全弾撃った後になって初めて、自分が何もない空間を撃っていたことに気づいた。
 ゴブリンの動態視力では集中状態にある俺の動きは捉えることができない。奴には俺が消えたように見えただろう。
 合計五発の銀の弾丸。それは全部、俺のいたはずの場所を通過し、背後の壁にかかっていた豪華なタペストリーに穴を開けただけに終わった。
 俺はゴブリン・ボスの背後から手を伸ばし、そっと拳銃を取り上げた。空の拳銃を奴の目の前で握り潰し、金属のねじくれた塊りに変えた。
「もう、気が済んだかね?」
 俺は再びゴブリン・ボスの前に立つと神父服を脱ぎ始めた。これを破るとアナンシ司教がいい顔をしないのは分かっている。バチカンの衣服課から苦情の手紙が来るのだ。奴はそれをわざわざファイリングし、俺の名前が書いてある書棚に収めている。
 全裸になる俺を見ながらゴブリン・ボスの顔がくしゃくしゃに歪む。俺が服を脱ぐ意味がやっとわかったのだ。ボスの顔から涙と鼻水がとめどなく溢れ落ちている。
「聖書によれば、神はおのれに似せて人を創り、悪魔はおのれに似せてゴブリンを作った、だったかな」
 もちろん、人間の聖書の話ではなく、闇の聖書の話だ。
 話しながらも俺の体の内部がうねる。筋肉が配置を変え、骨が変形する。ばきばきと嫌な音がする。俺の人狼の血が人狼の肉の配置換えを行っているのだ。
「だがな。その文言の後ろ半分はちょっと違う。本当のところは、悪魔は配下のエサとしてゴブリンを創った、が正しい」
 ナイフでも切れぬ剛毛が全身を覆い始める。頭が膨れ上がり巨大化する。顎の骨が厚くなり、前に伸びた口の中が鋭い牙で埋まる。成熟した人狼はちょっとした技術があれば、満月の夜でなくとも獣に変ずることができる。口の中に納まり切れなくなった舌がずるりと横からはみ出る。
 俺は口を大きく開き、発達した牙をゴブリン・ボスに見せつけた。もちろんこの行為にはこいつを脅かす以外の意図はない。あくまでも俺のスタイルというやつだ。
「さあ、ゴブリンよ。己が勤めを果たすがよい」
 ゴブリン・ボスの眼がこれ以上はないというほど見開き、近づいて来る虚無の洞窟を覗き込んだ。悲鳴は上げる暇が無かった。
 俺は血に飢えていたから。


 うずたかく積みあがった生首の山の頂上に、そっとゴブリン・ボスの首を置いた。
 テーブルから持って来た葉巻をその開いた唇の中に咥えさせたが、ポロリと落ちてしまったので、もう一度咥えさせてから上下に強く押し込む。ベキベキと音がしてボスの頭蓋骨が少し潰れたようだが、葉巻はしっかりと口に食い込んだのでよしとする。
 最後にボスの首の角度を調整して、しばらく眺めた。恨めし気な瞳が天井を睨み、配下の首の山の頂上でボスの威厳を振りまいている。
 うん、これでよい。俺の美意識が満足した。
 これで楽しいゴブリン一家のオブジェの出来上がりだ。どこかに写真機はないかな。是非ともこれを保存しておきたい。

 仕事が済むと、俺はテーブルの上の電話器を取り上げ、履歴を調べた。
 送信先のリストの中に『チクリ屋』の文字を見つけた。ボタンを押そうとして爪が引っかかり、悪態を突きながら人差し指だけ獣化を解く。鋭い爪が生えている指では電子機器はとても扱いにくいものなのだ。
 受話器の向こうでコールが鳴り響き、通話が繋がる。
「マルコーニさん。何か御用でしょうか?」
 アザースの声が聞こえた。
「やあ。アザース。久しぶりだな」俺は言った。
 電話の向こうでアザースが息を呑むのが聞こえた。電話の主が俺だと気づいたのだろう。それも先に訪れたファーマソン神父とは別の。その昔畏怖とともに聞いたことのある、忘れようにも忘れられない声。
「ダ・・ファーマソンさん」怯えた声で言った。
 一瞬それが誰を示しているのかが分からなかった。
「仕事を頼みたい。アザース」
「情報ですか?」アザースの声が震えている。何をそんなに怯えているのだろう?
「違う。掃除だ。ゴブリン・マフィアの本拠の掃除だ。ちょっと汚してしまってね」
「掃除ですか?」それは俺の仕事じゃないという口調だ。
「できないのか?」俺は優しく訊いてみた。
「できます!」どうして悲鳴で答える。コイツは?
「じゃあ頼む。代金はこの部屋の中にある金庫から貰ってくれ。金庫の扉は開けておく」
「立ち会って貰えるんで?」
 声は怯えているが仕事の手順はきちんと踏む。さすがにアザースはプロだ。
「いや、すぐに出立するのでそちらで勝手にやってくれ」
 電話の向こうの気配が明らかにほっとした。俺が街を出るのに安堵したらしい。何と失礼な。部屋の隅に積んであるゴブリンたちの生首の山を見ながら、その上にアザースの首を追加した光景を想像して楽しむ。
「でもそんなことしたら用心棒たちが黙っていません」
「大丈夫だ。この建物には文句をつける奴はもう誰もいない」
 俺が指摘するとアザースはうっと言葉に詰まった。
「不思議なことに本当に誰もいないんだ。そして誰も帰ってこない。
 じゃあ頼んだぞ。アザース。またな」
 電話の向こうでアザースは何か小さな声でこにょこにょと呟いていた。

 電話を切り、獣化を解く前に隅に設置されている大きな金庫の前に立つ。
 金庫の扉は丈夫な金属だ。だが獣化した人狼を止められるほどのものではない。特に、この俺には。
 取っ手を力任せに引くと敢え無く取れてしまった。仕方ないので三回ほど殴りつけると扉が大きく歪んだので、隙間に指を突っ込み、扉を引きはがす。金庫の扉がどれほど頑丈でも、本体と繋げている蝶番には限度がある。人狼の力には抗すべくもない。
 金庫の中には札束が詰まっていた。それと秘密の遊びに興じる上流階級の紳士方の色々な写真に動画らしきものの入った記録媒体。マルコーニのいざというときのための切り札。
 アザースならこれらを有効に活用することだろう。私はその想像ににやりとした。
 それから私は獣化を解き、神父服に着替えてから洋館を後にした。



 発車の直前に列車のコンパートメントに滑り込んだ。急いでいたので行儀は悪いとは思ったが窓からだ。
 エマとボーンズが驚く。アンディは三秒前に驚き終わっている。
「マスター。お帰りなさい」
 エマが手にしていたチキン・バスケットを差し出す。
「食べますか?」
「いや、いい。今たらふく食べて来た所だ。だが、有難う」
 私はそう断ると、エマの横の座席に身を沈めた。ゴブリンの問題点は自分たちはグルメ揃いの割にはその肉が不味いということだ。
 エマが紙ナプキンで私の口の周りを拭いた。どうやら血がついていたらしい。
「マスター」アンディが自分のスマホを差し出してきた。
 今回のSNSには空飛ぶ神父とお題がついていた。ビルの上空を跳んでいる私の写真が載っている。
 やれやれ、現代は姦しい時代だ。おまけにアナンシ司教の目を誤魔化せるものはこの世に存在しない。きっと対策局に帰ったら、バチカンの権威を傷つけたという理由でアナンシ司教は私に始末書を書かせることだろう。そしてそれをファーマソン神父と書かれたファイル棚に仕舞うのだ。

「これで仕事は終わりですか。マスター」アンディが訊いた。
「これで終わりだな」私はそう答え、ボーンズを見た。
 カトプレパスのボーンズ。闇の大戦が無ければ両親の下で何不自由なしに成長できたであろう子供たち。
 まだまだボーンズのような子供たちが居るに違いない。
 私の贖罪と本当の仕事はこれから始まるのだ。
 そう理解した。